せの喜代を応援する会の分裂」カテゴリーアーカイブ

公務員の「上から目線」を感じませんか?

荒川区長への質問状
地域の労働組合の相談員であった元区職員から私に対して「(Hさんを)攻撃することはやめなさい」と言われたことに関して質問します。
彼は「H(20数年前の都議会議員 区議会議員候補者 落選)とはあなたよりも長い付き合い」「経過は全く知らない」と言って私に「攻撃をやめなさい」を繰り返しました。全く知らないのに何を持って攻撃と判断したのか、不思議に思います。私を攻撃するような強い言葉に私は圧倒されました。
一時から比べるとずいぶん減ったと思いますが、公務員は、「上から目線である」と感じることがいまだにあります。区は職員教育において「区民との関係」についてどのようにとりくまれているか教えてください。

荒川住民ひろばのTさんへ

  Tさん 
  あなたにあえて公開の手紙を書きます。お友達に読んでもらって、せのはひどいとなることもありだと思います。
  私達にはまだ、長い人生があります。これからもう会うこともないでしょうが、(私の行く会に参加しないでという私の願いをきいてくださると思います)「せの喜代を応援する会の高齢女性2名からTさんがいる会には行かないからごめんね」と言われたことを再度報告し、改めて、ご自分の冷たい言葉に気をつけてくださいとお願いします。もちろん私も気をつけます。
 何年前でしょうか。あなたが「ごはんを食べないから卒業式で倒れるのよ」と言って去った後、私は机をたたいて大泣きしました。ご飯を食べられるくらいなら苦労しない!!なんて上から目線の言葉だろうと私には思えました。鬱になるストレスが何かと考えていた私は、長年の、年上で指導者であるあなたから受けたパワハラに思い至りました。
  (つけくわえますが、その後、何回か倒れていますが、私が倒れることと食事は直接の関係は有りません。きめつけないでください。)
 だから、世話になった高齢女性が認知症になって、娘さんから相談を受けた時、母が参加できる介護予防の場として作った三河島くらぶに、その方を呼ぶために、あなたにはご遠慮願いました。
 そして、いろいろがあって、今年2月15日、私はボイストレーニングに久しぶりに参加しました。三河島くらぶには参加していないと思っていたあなたが、おられました。知っていれば行きませんでした。そして帰り道、私が一緒に帰ろうとしていた方の名前を遠くから大声で呼び招きました。少し前にその方から三河島くらぶにTさんを復帰させてくれと言われていました。
 私は考えました。あなたはおそらく、この人は私の友達なのよと示したかったのでしょう。もし用があるのなら、電話すればよいと思うからです。あなたはいつもそう、、、私が私が私が偉いのよって。
 もう私は堪えることができないのです。もう逃げるだけです。
 ですから、三河島くらぶの麻雀、折り紙、フラワーアレンジメント、源氏物語については、講師の自主運営としました。瀬野さんも来てくれと言う講師の方もおられますが、行かないつもりです。あなたのご希望通りに致しました。
 介護予防の取組はまた別の形で再開できますが、尾久初空襲と尾久の原公園の取組は今の形の継続しかありえません。20年と半年前に野村圭佑さんに託されたこの2つの課題は私が、心血をそそいで取り組んできたものです。だから、私の願いを理解していただきたいと思います。

 そもそも、7人の皆さんが私が後継にしたかった障害児の母親に対して、立候補の要請をして決意させておきながら、「せのが信用できないのが6割、本人が右翼に囲まれているのが4割で選対を降りる」と通知してきた時点で、私は荒川住民ひろばと縁を切りました。この、70歳に近い活動家達が40歳のあまり経験のない女性に対してとった行為は私には絶対許せないものだからです。あまりにもむごい・・。彼女がどれだけ傷ついただろう、そのお詫びをどのようにしていくのか、私は悩んでいます。

どうかお願いです。強い気持ちの人間ばかりの社会ではありません。弱い人のもいるのだとわかっていただけませんか。

Hさんが議員にならなかったので荒川区民にはこの問題はほとんど関係がありません。ですから、Hさんが尾久初空襲のイベントに参加する姿を見るまで、私は、もう忘れようと思っていたのです。所詮、醜い仲間割れにすぎないのです。

私は、これでふっきるようにして、これからは、好きなことに集中します。

追伸
忘れないで下さい。Tさん他、計8人の方がそれぞれ、見解を示してくだされば、それが差別的なものでないなら、私は何も言いません。尾久初空襲のイベントにも尾久の原愛好会にもどうぞご参加下さい。

「せのは信用できない」「せのは日本会議だ」と言われた方々へ

お願いがあります。
「せのは信用できない」「せのは日本会議だ」とおっしゃる方々にお願いです。
私が一生懸命作りあげた団体やイベントに参加することはご遠慮いただけませんか。確かに、どなたが参加してもいい団体やイベントです。双極性障害の私はいい人をやめることが必要です。医者からそう言われています。嫌なことは嫌だと申し上げます。
あなた方には活動の場がいっぱいあるではありませんか。私の20年の想いがつまったつどいに参加することがあなた方の人生にとって重要なのでしょうか。私は苦手な方と接した後、前回2カ月間の鬱になりました。今回もまた接しましたが、鬱にならないよう、自分の弱さを乗り越えようと言い聞かせています。
昨日、「攻撃はやめなさい」と言われました。動揺しています。必死で耐えています。
私が、障害者差別について考えてほしいと思ってとった行動が、再度の鬱への入り口になるかもしれません。
私は、Hさんのリーフレットを見、尾久初空襲イベントに参加されている姿を見て、逆上して、公開質問状をつくりました。そうでなければ、言いたいことを言ってもいいHPやFBで発散するだけでよかったのです。さらに、尾久の原愛好会に何事もなかったかのように参加しているTさんをみて、あえて統一マダンに参加したのです。それをあなた達は「攻撃」とおっしゃいますが、あなた達の行動が私を動かしているのです。
ただ、主要な活動の場が私の作った団体である方もおられるので、そこからは私は身を引きます。
私の願いをきいていただけませんか。

精神障害への理解を求めることは攻撃なのでしょうか?

Hさんとは長い付き合いという方から「攻撃はやめなさい」と言われました。
私は、精神障害への理解を求めていますが、これは攻撃なのでしょうか?
私は7人を代表する方から「信用できない」と言われても、耐えてきました。精神を病んでいる人間にはむごい言葉だとわかっていただけませんか?選挙妨害をされても、区議の命と教えられた名簿を渡せと言われても、黙っていました。
でも、4月18日、あの、20年前の私のイラスト地図とそっくりなHさんのリーフレットを見て、決断したのです。
私に一言の断りもなく、こんなことをするような人を区議会に入れてはいけない、礼儀を知らない人を議員にしてはいけないと思ったから、いろいろ動いてきました。
Hさんたちは、ずっと私を無視しています。
「信用できない」という言葉の刃を使って平気な、精神障害者(私の場合は双極性障害ですが)の現実にをご存じない方々なのだと思い、理解を求めてきました。「嘘だ」と言われる度に様々な方法を考えてきました。
それが攻撃だと言われて、私は茫然としています。私はHPやFBに書き込むことで精神の安定を維持していると思います。泣きながら書いています。自分の弱さを見つめています。
私は確かに区議20年の経験を持つ強者でもあります。私はいったいどうしたらいいのでしょうか。

双極性障害を理解して下さい

統一マダンで橋立さんと会って回答を求めたら、回答できないと言われた。憲法を守る会のMさんは、精神障害と嘘を言っている、私が書いたことは事実と違うと言っていた。
  どこが違うか、聞きたい。すべて事実である。
思うに、双極性障害をご存じない。躁の私の元気な時しか見ていないから、病気ではないと思っているようだ。
そこで、私の病歴を明らかにすることにした。
私の病歴
2010 10 認知症の母と同居
     11 自宅で無料塾、母の介護予防健康麻雀開始
2011  4 4期目当選
2012  7 三河島いきいき教室開始     
     8/31 日曜の認知症カフェ開始 
  やる気の低下
2015  2 選挙用リーフレット完成 
ーーー鬱選挙のため多忙 自治労が推薦拒否でもめる
2015  4 5期目選挙 次男が食事づくりを担当 
      5 御茶ノ水メモリークリニック受診 
         認知症ではないが、後頭部の血流悪い  
         アリセプト等服薬多数
      6 母がグループホームに入居すると元気に
2015  8 韓国訪問
2015  末 やる気の低下
2017
1月    
ーーー鬱 2か月半  
2月3日  躁 議会で発散 躁へ
3月    中学卒業式で失神(3回目の救急車)
5月18日  東日暮里クリニック 補中益気湯
6月1日から 鬱 長男が食事担当 
ーーー鬱③:公園廃止反対運動 2カ月半       
6月9日  北療育センター神経科 小林医師 大学の同窓 
       6/23ドグマチノール 
       7/21ラミクタールデパケン
       8/18デパケン
8月15日から 躁  みんなのおうち始動
10月2日  阿部クリニック受診 炭酸リチウム

2018  1月から     躁
5月19日  荒川自由学校講座 子どもも一緒で援助えられず ーーー鬱4カ月
9月 19日     躁:Sさん立候補OK
11月10日から 政治団体提案、幼稚園訪問企画等多忙 
ーーー鬱4か月半
12月25日   診察時は鬱 薬を追加 その後、躁へ転換
  30日   朝からしびれ、ほてり等
  31日   日医大へ(4回目の救急車)鉄格子の幻覚を見、4階踊り場で叫ぶも誰からも相手にされず  以降 薬をやめ、自分を哲学することで治療中
2019  
2月15日 ママにTさんの三河島くらぶへの復帰を求められる。Tさんとボイストレーニングで遭遇  一緒に帰ろうとしたママを奪われ、一人で帰宅 
ーーー鬱⑥2カ月 
4月16日   躁 歌声サロン2か所 宣伝カーで引退挨拶