投稿者「senokiyo」のアーカイブ

公務員の「上から目線」を感じませんか?

荒川区長への質問状
地域の労働組合の相談員であった元区職員から私に対して「(Hさんを)攻撃することはやめなさい」と言われたことに関して質問します。
彼は「H(20数年前の都議会議員 区議会議員候補者 落選)とはあなたよりも長い付き合い」「経過は全く知らない」と言って私に「攻撃をやめなさい」を繰り返しました。全く知らないのに何を持って攻撃と判断したのか、不思議に思います。私を攻撃するような強い言葉に私は圧倒されました。
一時から比べるとずいぶん減ったと思いますが、公務員は、「上から目線である」と感じることがいまだにあります。区は職員教育において「区民との関係」についてどのようにとりくまれているか教えてください。

引きこもり?という加害者への目線が冷たい社会を思う

ラジオで川崎の51才の彼を警察が把握しておくべきと生島さんが言っていた。私と同じ病気を感じる。自分の受けた理不尽を許す事が出来ない。気にするなと言われても囚われている。いわゆる就職氷河期に近い彼。就職がうまくいかず、引きこもって、社会を恨んでの犯行ではないだろうか。年に1回は起こるこの種の事件。自分の感情をコントロール出来ない点で、私と同じだと思う。人に嫌われ、こだわりを笑われ、多くの人たちが私を要注意人物とみなし、無視される。メールを送っても答えてもらえない。私も、Hさんから立会演説会で「瀬野さんは具合が悪いので私が全て引き継ぎます」と聞いたと息子の同級生のお母さんから聞かされ、そこまで嘘をついて平気なのかと悶々とした時は、ナイフを振り回して逮捕されて注目され、H陣営を告発したいと妄想した。私は彼と同じだ。警察に登録されるべき人間なのだ…世間は冷たいねえ…

自民党に遠慮し続けた20年を振り返る

区議生活をふりかえると、つくづく自民党に遠慮し続けた20年だったと感慨深い。
尾久初空襲を区民に知ってもらう活動を始めたのは、当選後すぐだった。当時は尾久の自民党区議会議員が「聞いたことがない。嘘だ」というくらい、知られていなかった。
故森谷新元区議会議員が、当時の土木部長から、自民党議員が尾久初空襲の記念碑に関わることについて「瀬野にはやらせるな。俺がやる」と言ったと聞いたと話しておられた。
今、尾久初空襲の資料を整理しているが、尾久橋町会主催の尾久初空襲を忘れないコンサートの協賛団体には「荒川国際平和展」の名前はない。隠れて手伝い、お金を出してきた。そうでなければ、この荒川区では事が進まないのが現実である。
この、忖度の強制はいつまで続くのだろう・・・私はもう忖度する必要がなくなったので、まっとうに事を進めます。

荒川住民ひろばのTさんへ

  Tさん 
  あなたにあえて公開の手紙を書きます。お友達に読んでもらって、せのはひどいとなることもありだと思います。
  私達にはまだ、長い人生があります。これからもう会うこともないでしょうが、(私の行く会に参加しないでという私の願いをきいてくださると思います)「せの喜代を応援する会の高齢女性2名からTさんがいる会には行かないからごめんね」と言われたことを再度報告し、改めて、ご自分の冷たい言葉に気をつけてくださいとお願いします。もちろん私も気をつけます。
 何年前でしょうか。あなたが「ごはんを食べないから卒業式で倒れるのよ」と言って去った後、私は机をたたいて大泣きしました。ご飯を食べられるくらいなら苦労しない!!なんて上から目線の言葉だろうと私には思えました。鬱になるストレスが何かと考えていた私は、長年の、年上で指導者であるあなたから受けたパワハラに思い至りました。
  (つけくわえますが、その後、何回か倒れていますが、私が倒れることと食事は直接の関係は有りません。きめつけないでください。)
 だから、世話になった高齢女性が認知症になって、娘さんから相談を受けた時、母が参加できる介護予防の場として作った三河島くらぶに、その方を呼ぶために、あなたにはご遠慮願いました。
 そして、いろいろがあって、今年2月15日、私はボイストレーニングに久しぶりに参加しました。三河島くらぶには参加していないと思っていたあなたが、おられました。知っていれば行きませんでした。そして帰り道、私が一緒に帰ろうとしていた方の名前を遠くから大声で呼び招きました。少し前にその方から三河島くらぶにTさんを復帰させてくれと言われていました。
 私は考えました。あなたはおそらく、この人は私の友達なのよと示したかったのでしょう。もし用があるのなら、電話すればよいと思うからです。あなたはいつもそう、、、私が私が私が偉いのよって。
 もう私は堪えることができないのです。もう逃げるだけです。
 ですから、三河島くらぶの麻雀、折り紙、フラワーアレンジメント、源氏物語については、講師の自主運営としました。瀬野さんも来てくれと言う講師の方もおられますが、行かないつもりです。あなたのご希望通りに致しました。
 介護予防の取組はまた別の形で再開できますが、尾久初空襲と尾久の原公園の取組は今の形の継続しかありえません。20年と半年前に野村圭佑さんに託されたこの2つの課題は私が、心血をそそいで取り組んできたものです。だから、私の願いを理解していただきたいと思います。

 そもそも、7人の皆さんが私が後継にしたかった障害児の母親に対して、立候補の要請をして決意させておきながら、「せのが信用できないのが6割、本人が右翼に囲まれているのが4割で選対を降りる」と通知してきた時点で、私は荒川住民ひろばと縁を切りました。この、70歳に近い活動家達が40歳のあまり経験のない女性に対してとった行為は私には絶対許せないものだからです。あまりにもむごい・・。彼女がどれだけ傷ついただろう、そのお詫びをどのようにしていくのか、私は悩んでいます。

どうかお願いです。強い気持ちの人間ばかりの社会ではありません。弱い人のもいるのだとわかっていただけませんか。

Hさんが議員にならなかったので荒川区民にはこの問題はほとんど関係がありません。ですから、Hさんが尾久初空襲のイベントに参加する姿を見るまで、私は、もう忘れようと思っていたのです。所詮、醜い仲間割れにすぎないのです。

私は、これでふっきるようにして、これからは、好きなことに集中します。

追伸
忘れないで下さい。Tさん他、計8人の方がそれぞれ、見解を示してくだされば、それが差別的なものでないなら、私は何も言いません。尾久初空襲のイベントにも尾久の原愛好会にもどうぞご参加下さい。

「せのは信用できない」「せのは日本会議だ」と言われた方々へ

お願いがあります。
「せのは信用できない」「せのは日本会議だ」とおっしゃる方々にお願いです。
私が一生懸命作りあげた団体やイベントに参加することはご遠慮いただけませんか。確かに、どなたが参加してもいい団体やイベントです。双極性障害の私はいい人をやめることが必要です。医者からそう言われています。嫌なことは嫌だと申し上げます。
あなた方には活動の場がいっぱいあるではありませんか。私の20年の想いがつまったつどいに参加することがあなた方の人生にとって重要なのでしょうか。私は苦手な方と接した後、前回2カ月間の鬱になりました。今回もまた接しましたが、鬱にならないよう、自分の弱さを乗り越えようと言い聞かせています。
昨日、「攻撃はやめなさい」と言われました。動揺しています。必死で耐えています。
私が、障害者差別について考えてほしいと思ってとった行動が、再度の鬱への入り口になるかもしれません。
私は、Hさんのリーフレットを見、尾久初空襲イベントに参加されている姿を見て、逆上して、公開質問状をつくりました。そうでなければ、言いたいことを言ってもいいHPやFBで発散するだけでよかったのです。さらに、尾久の原愛好会に何事もなかったかのように参加しているTさんをみて、あえて統一マダンに参加したのです。それをあなた達は「攻撃」とおっしゃいますが、あなた達の行動が私を動かしているのです。
ただ、主要な活動の場が私の作った団体である方もおられるので、そこからは私は身を引きます。
私の願いをきいていただけませんか。