8人と3団体に公開質問状を出します

   公開質問状
 橋立啓子さんそして応援する7人の方々(荒川住民ひろばのTさん、Yさん、野宿者に関わるNさん、社民党のSさん、憲法を守る会のMさん、部落解放同盟のKさん、子育て支援のKさん)と推薦した社会党、新社会党、部落解放同盟に対し、この度の選挙に関する事実経過についての見解を伺いますので、6月20日までに書面にて瀬野喜代まで送ってください。

1、橋立さんのポスター貼りを手伝うと私に表明したKさんから次のようなメールをいただきました。
4月18日(木)17:12
日本会議のせのさん、こんにちは。小池百合子より少し若いから、次期都知事狙いますか? それとも絶望の党(名前違ったっけ)の党首の座を狙いますか?
毎週金曜日の4時から5時は文科相前にいるから遊びにいらっしゃいな。  K

過去の人を相手にしてるひまありまへん(^.^)/~~~

これはあきらかに私を誹謗中傷するメールであり、名誉棄損罪にあたると思いますが、見解をお示し下さい。

2、橋立啓子さんのリーフレットのイラスト地図はだれが見ても20年前のせの喜代のチラシのものと酷似しています。一般常識では、マネをする場合は一言、挨拶するものですが、どうしてその必要はないと判断したのか、見解をお示し下さい。

3、私の友人たちから「橋立さんが瀬野さんの後継だと聞いた」「個人演説会で橋立さんが、瀬野さんの
具合が悪いのですべて引き受けたと言っていた」と聞きました。これは本当でしょうか。本当ならば、どうしてこのような嘘をついて選挙活動を行ったのか見解をお示しください。

4、私は4年前から引退を表明し、後継者を探していると発言していましたが、双極性障害である私に一言も言わず、7人の方々は、独自に後継者探しをしていたと聞きました。区議会議員本人を無視して後継者探しを始めた理由は何でしょうか。私を無視したのは、私が精神病者であるからでしょうか。見解をお示しください。

5、7人の方々は4人の女性に立候補を打診したものの、すべて断られてから、私に、後継としては誰を考えているのかと尋ねたと聞いています。私は障碍児をもつSさんの名前をあげ、スピリチュアルな活動と関わっているものの、それを封印することを前提に、夫にも話し、立候補を検討してもらっている段階だと説明しました。それを受けて7人はSさんに立候補を要請しました。Sさんが悩んだ末、立候補を決意し表明した後、しばらくたって7人を代表してNさんから、「せのを信用できないのが6割、Sさんが右翼に囲まれているのが4割」という理由で応援できないと話がありました。ふつう、とりわけ鬱期にある精神病者に対し、自殺につながりかねない「信用できない」と言う言葉を投げかけないのが常識です。そういう常識をご存じなかったのか、それともあえて、Kさんのメールと同じく、私をたたきつぶす目的で「信用できない」という言葉を投げつけたのか、見解をお示し下さい。

6、Sさんと立候補のあいさつに行った先々で、Sさんは幸福の科学だと橋立さんが言っていたと言われたので、私はSさん擁立を断念しました。Sさん本人は否定していますが、幸福の科学だとする根拠は何ですか。

以上、6点について、その他、今回の選挙をめぐっての見解をお示し下しさい。

2019年5月20日
瀬野喜代

尾久初空襲についてもっと知ろう!

尾久八幡中に続き、6/15瑞光小で公開授業が行われる。

尾久初空襲と私
Posted on 2016年5月4日
私に尾久初空襲を教えてくれたのは今は亡き野村圭佑さんだった。都内初のビオトープ(多様な生物が生息できる環境条件を備える空間)として、はらっぱとも称される都立尾久の原公園を実現した自然保護活動家として有名で、国や都の審議会委員を務めていた。
 26年前、荒川区立保育園父母の会連絡会の会長を務めていた私は、子連れで野村さんの下町みどりの仲間たちの活動や自然観察会に参加していた。17年前、区議会議員に立候補のあいさつに行った時、「尾久の原の保全と尾久初空襲の伝承に取り組んでほしい」といわれ、玄人はだしの植物画を描く野村さんのイラストを選挙リーフレットに使うことを許していただいたのだった。(都立尾久の原公園の保全のために立ち上げた尾久の原愛好会は今も自然観察会を月1回程度行っている)
 当選後すぐの一般質問で、早速、区に市民参加の平和展を行うよう提案したが、「その予定はない」との回答、、、
 そこで、3月10日の東京大空襲の前後に荒川国際平和展を開催し(実行委員会主催)、尾久初空襲にまつわる調査を行い、展示した。第一回荒川国際平和展は海老名香葉子さんの講演と東京荒川少年少女合唱隊の公演であった。また、初空襲が1942年4月18日であることにちなみ、その前後の日曜日に尾久橋のたもとで尾久初空襲被害者慰霊のつどいやイベントを行った。
 当時、尾久初空襲の復旧に関わった熊野土地区画整理組合の石碑が区の工事置き場に保管されていた。私は野村さんに連れられて30年前に組合長の遠藤栄さん宅の玄関前の石碑を見に行ったことがある。私が区議になった1999年には遠藤さんは老人ホームに入り、パチンコ関連会社に変わっていた。遠藤宅には、輪王寺の宮が泊まったという碑と初空襲の碑、二つの碑があり、近所の人が、教育委員会に碑を保存すべきではないかと問い合わせたが、史的価値がないといわれたそうだ。家の取り壊しの工事の際、尾久初空襲のみかげ石の碑は道路に打ち捨てられ、一部が割れてしまった。そこに通りかかった当時の道路課長が、工事置き場に保管したそうである。現在は、ふるさと資料館で保管されている。
 爆撃地付近で聞き取り調査を行い、鈴木元一さんから警察による「尾久付近空襲状況」をお借りし、コピーした。鈴木さんは、「遠藤宅の碑は戦後ずいぶんたってできたもので、内容もいい加減」と話し、石碑は地元住民からは無視されていた。
 2000年頃は、尾久に住む議員が「初空襲なんて聞いたことがない、うそだ」というくらい、隠されていたのである。
 当時、区が把握していた爆撃地は東尾久八丁目町会の一箇所だった。そこで、東尾久八丁目町会に慰霊の集いへの参加を呼びかけ、証言を集めようとしたが、戦争中から住んでいた人とは出会わなかった。しかし、神奈川に住んでいた被爆当時大門小4年だった小宮一郎さんに出会い、2箇所目を特定することができた。その場所が尾久橋町会内だったため、尾久橋町会にも呼びかけることにした。
 尾久橋町会から数人、毎年慰霊のつどいに参加していただくようになって数年後、田村町会長が自宅の隣が爆心地であり、爆風で飛ばされた経験談を語ってくれた。語ることを禁じられた教えをずっと守っておられたのだった。ようやく三箇所目が特定できたのだった。
 そこから、町会として、尾久初空襲を語り継ぐ運動への取り組みが始まったのである。
 私たち、荒川国際平和展実行委員会は、3・10のイベントと4月の初空襲慰霊のつどいを毎年開催してきたが、10年目の節目に、爆心地に近い、ADEKA本社ホールで尾久初空襲を忘れないコンサートを企画した。このとき、尾久橋町会が中心となっての開催となった。 その後、町会を中心に、毎年、首都大学ホール、サンパール荒川大ホール、尾久小体育館、尾久八幡中体育館を会場に、多くの人々が集う、「尾久初空襲を忘れないコンサート」が開催されてきた。また、中学校の副読本に、中学生が町会長を訪ねて、空襲の話を聞くという設定で取り上げられた。
 そして、今年は、原中学校で、全校生徒と大門小6年、地域住民が参加して、公開授業が開催された。内容は、演劇部による副読本の朗読と尾久初空襲を語り継ぐ会による説明である。来年は第七中学校で開催すると発表された。毎年、尾久地域の子どもたちが尾久初空襲から戦争の悲惨さと平和の大切さを考える機会になれば、こんなうれしいことはない。
 今後は、語り継ぐ会の内容を深めることと、尾久地域以外の学校への平和授業の展開を模索していきたい。

7人に対し、謝罪とその広告を求めます

闘争宣言
私は20年前、社民党、民主党の推薦で荒川区議選挙に立候補した。3/15「荒川を変えよう!区民のつどい」では、6期荒川区議を務めた、亡き森谷新さんの見事な書期待の言葉を頂き、第4位で当選を果たした。亡き社民党の田英夫さんからも励ましの言葉を頂いた。森谷さんも田さんも、今回の裁判では私を応援してくれると思う。私の人権を踏みにじっている橋立啓子さん、荒川住民ひろばの●さん、●さん、野宿者に関わる●さん、社民党の●さん、憲法を守る会の●さん、部落解放同盟の●さんを、「せのは信用できない」と私の名誉を傷つけ、「せのの後継者」と嘘をついて選挙活動を行い私に精神的苦痛を押し付けた事に対して、謝罪し、その旨の広告を荒川区民に対して行う事を求めます。
橋立陣営7人が精神病者への偏見を改めるまで私は闘います。
2019/5/12 瀬野喜代

この悔しい思いを裁判で訴えよう

精神的苦痛を受けたと言う事で、損害賠償請求出来ます。「信用できない」という言葉は 名誉棄損と主張できます。橋立啓子さんを訴えたらどうですか?というメールをいただいた。
よし、やってみよう。この悔しい思いを裁判にぶつけよう。私は社民党12年、部落解放同盟は16年間、推薦してもらっていたがしかたない。こんなにひどいことをされても、このままでは
泣き寝入りだ。

社会党 新社会党 部落解放同盟へ質問状を出します

社民党 新社会党 部落解放同盟 御中

荒川区議会議員を5期20年務め、今回、引退した瀬野喜代です。20年の間には、社民党、民主党、緑の党の推薦をうけつつ、無所属市民派として市民活動と議員活動を担ってまいりました。
今回の統一地方選挙において、貴団体が推薦された橋立啓子氏陣営の行為について以下の質問にお答え下さい。
① 橋立氏のリーフレットのイラスト地図は20年前のせのきよのチラシのイラスト地図と酷似しています。ここまで酷似させるのであれば、世の中の礼儀として、せのきよに一言挨拶をするべきだと思いませんでしたか。
② せのきよが擁立しようと準備していたSさんについて橋立氏は「Sさんは幸福の科学である」と宣伝しました。その根拠は何ですか。
③ 「Sさんは幸福の科学であると橋立氏が言った」と2人の医師と私のマンションの住民が断言してます。
橋立さんは4月20日、私のその指摘に対し、「言っていない」と言われました。その3人の方が嘘をついていると主張されるのでしょうか。
④ 「Sさんの立候補準備のため、せのきよの名簿整理を橋立氏が担うからデータがほしい」と橋立陣営のYさんが私の自宅に取りに来られましたが、その時すでに、橋立氏は立候補を予定していたのでしょうか。
⑤ 橋立陣営の皆さんは、当初、Sさんに立候補を要請したにもかかわらず、後日、「せのが信用できないからが六割、Sさんが右翼に囲まれているからが四割」という理由でSさんを応援しないと瀬野宅で代表の方が説明されました。介護うつから双極性障害Ⅱ型へと移行し、鬱状態からぬけだしつつあった私への「信用できない」という言葉は、心がえぐられる思いでした。精神病者への言葉として適切であるとお考えですか。
⑥ まだ人生経験も浅く、特別支援学校に通う長女を含む3人の子持ちの女性に対し、立候補を要請したうえで本人が決意したあと撤回したこと、「幸福の科学である」ときめつけたことは、Sさんにとって耐えがたい傷となったと思いませんか。
⑦ Sさんは立候補を断念しました。橋立さんは私には一切連絡を取りませんでしたが、地域の方々に「瀬野の後継です」と挨拶をして回ったと友人から聞きましたが、本当ですか。
⑧ 立会演説会で橋立さんが「瀬野さんは具合が悪いので私がすべてを引き継ぎます」と挨拶していたと友人から聞きました。本当ですか。

今まで、橋立陣営の方々に何度もメールを送り、回答を求めましたが、無視されています。そこで、しかたなく、貴団体にご所見を伺う次第です。
議会人として活動する前に、人として、常識ある行動をとるべきであると思います。
貴団体の推薦があることを信頼して投票した区民が存在しますので、その責任においてご回答下さい。

2019年5月10日       

荒川区西日暮里2-2-4-401
瀬野喜代