性こそ人間存在そのもの 人間の尊厳を否定する売買春

明日、1月30日、岡村発言から買春社会を考える会第七回行動
12時半渋谷リレートーク&13時半ズーム学習会を開催します。
再度の案内になりますがどうぞご参加ください。

前回の学習会がきっかけで取り寄せた文章がとても素晴らしいので、ぜひ、読んでください。厚労省課長だった浅野史郎氏が組織した懇談会の討論のまとめが厚労省にも国会図書館にも保存されていないことがわかりました。
売買春問題の深刻さを改めて考えさせられています。

婦人保護事業懇談会1992 討論のまとめ

1.売買春問題への認識
 現在一般に、売買春は個人的な自由意志による行為だと考えられています。果たして本当にそうなのでしょうか。公娼制度(国家が認可した買春)は、国際世論の批判を受けて形を変えざるを得ませんでした。政治と業者とのつながりの中で、売買春は自由意志論に根拠を置き、強くその根を張っています。性は、決して他からの強制を受けるものではなく、自らの選択と責任の下に存在し、性的関係は常に男女両性の関係によって作り出されるものです。性こそ人間存在そのものといえましょう。その性が売り買いされるのは、今なお貧困問題が基底にあり、この貧困状況そのものは生活の中で深刻化し拡大されてきています。経済成長の対極には、拝金主義が蔓延し、人々の物質的欲望を限りなく煽っています。性産業と結び付いているマスコミも人間の性を利潤追求の手段として商品化し、先導を切っているのは周知の事実です。女性の性がおとしめ道具として利用されている__当然、性を買う方の人権も傷付けられている__のに、どうしてその問題性が大きく浮かび上がってこないのでしょうか。売買春は経済的社会的文化的構造から生み出される女性差別であり、男性を含む人間の尊厳を否定するものなのに、なぜ、反人権性の構図として捉えられないのでしょうか。人間の尊厳を失うことにより、特に深く心身共に傷付き影響を受けるのは、社会の力関係の中で弱い立場に置かれる女性の側なのです。売買春は両者の人間性を確実に荒廃させ、その荒廃は絆の切れた人間関係の中で幾倍にも相乗され、人格を崩壊に導くものです。売買春の拡がりは広く男女の関係のみならず、結婚した夫と妻との関係をも歪めています。真に自由で対等な性的関係の実現のためにも、売買春は一部の特別な人たちの問題である、と片付けてはなりません。(一部抜粋)

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