買春当たり前はもうやめよう!

「戦略を立てよ、冷笑されても時間がかかっても忍耐がいる、女性たちは力を合わせて戦うことが必要」
「買春男性は処罰の対象であり、売春女性はマイノリテイで支援が必要な存在である。売春は職業であるとはみなされず社会に受け入れられないもの」 1999年に来日したスウェーデン国会議員・DV全国諮問委員会委員長インゲヤード・サールストロームさんの言葉
   「売買春問題に取り組む 性搾取と日本社会」高橋喜久江著 より
スウェーデンでは「金銭により、一時的な性的関係=性的サービスを取得する者を罰する」買春防止法が1999年より施行されている。人権意識が低く、包括的性教育の無い日本では、売買春廃絶に取り組もうとする人は少ない。メディアの役員クラスは男ばかり。
立川での風俗嬢刺殺事件でも、売買春廃絶の立場からの報道を見かけないくらい、日本は買春容認社会だ。

「政治家を男女同数に」アテネ宣言を噛み締める・・

女性と男性間の平等は、公式、非公式を問わず基本的な人権である。
女性は、人類の半分以上を占めており、
民主主義は、国会ならびに行政に男女同数の代表を必要としている。
女性は、人類の潜在能力ならびに人類の技能の半分を代表しており、
意思決定においてその代表が少ないことは、社会全体の損失である。
意思決定の場に女性の代表が少ないことは、
人類全体のニーズと利益を考慮に入れることを阻害している。
意思決定に女性と男性がバランスよく参画することは
女性、男性を問わずすべての人に、公平でバランスのとれた社会に
ふさわしい多様な考え、価値観、態度を生み出すことになる。
それゆえ
我々は宣言する・・・政治権力ならびに公権力が女性と男性の間でバランスよく配分されることを。
我々は要求する・・・政治や公的意思決定の場への女性と男性の平等参加を。
我々は強く主張する・・・男女平等を現実のものとするため、意思決定過程の構造を変える必要があることを。
第一回欧州サミット「政治権力と女性」にて採択
(1992年11月3日ギリシャ・アテネ)
 8月30・31日、全国フェミニスト議員連盟夏合宿IN富士に参加。フランスのパリテ法(男女同数法)について学んだ。その元になる、アテネ宣言も紹介された。

せの喜代のHP 2008年9月1日記

国連にもクオータ制を!国連本部をガザ地区に!

10時間睡眠後、心地よく目覚め、防災訓練を兼ねた電気のない祈りの時間をすごした。疲れの一部にガザの瓦礫の山の写真がある気がする。世界平和を願って一日一句の願掛けも虚しく、国連でもアメリカの反対で決議もあげられない💢
国連職員にもクォータ制を導入して、女性職員が先頭に立ってガザで平和首脳会議を開催するとか、瓦礫の跡地に国連本部を建てるなんて良いかも…

夏来たるがれきの山に命思う
子どもらよひるかほ咲きぬ命あれ

尾久本土初空襲パネル展を開催!!

今日から25日まで、荒川区立ゆいの森あらかわ(吉村昭記念文学館 図書館 子どもひろば)1階ロビーで[尾久本土初空襲パネル展]を開催する。
議員になった翌年から10年間、3/10荒川国際平和展&4/18尾久初空襲慰霊のつどいが私の年中行事だった。
2008年に体験者の田村一彦さんが名乗り出てくれて、1000人が参加した尾久初空襲を忘れないコンサートや学校での公開授業へと発展し「尾久橋町会付属尾久初空襲を語り継ぐ会」として活動している。町会長だった田村さんの、『語り継ぐ会』が永久に続くようにと『尾久橋町会付属』とした、その想いを語りたいと思う。

尾久本土初空襲の3つの特徴とは・・

尾久本土初空襲 3つの特徴
(1942年4月18日ドーリットル空襲初弾)
①70年間「隠されていた」日本初空襲
2000年から荒川国際平和展実行委員会が毎年慰霊のつどいを開催し、情報を収集。初空襲当時「話してはならぬ」と教員や警察に厳しくいわれた葛藤を乗り越えて2008年体験者の田村正彦さんが名乗り出て、体験を語り始めた。
言論出版集会結社等臨時取締法1941年(昭和16年)12月20日施行
第17条   時局ニ關シ造言飛語ヲ爲シタル者ハ二年以下ノ懲役若ハ禁錮又ハ二千圓以下ノ罰金ニ處ス
第18条   時局ニ關シ人心ヲ惑亂スベキ事項ヲ流布シタル者ハ一年以下ノ懲役若ハ禁錮又ハ千圓以下ノ罰金ニ處ス
 
②軍司令部は「9機を撃墜」とうそを発表
真珠湾攻撃から4か月後であったので、多くの人々は日本軍の訓練だと勘違いして、米軍機に手を振ったとの記録が残っている。また、翌日の新聞は、「9機を撃墜わが損害軽微」といつわりの報道を行った。
 
③B25 16機のドーリットル空襲による日本の被害は全国で死者87人他
   参加した米軍兵士80人のうち、1人は死亡、8人が日本軍捕虜となり、処刑3人、病死4人である。B25が不時着した中国の日本占領地で、探索のため数百人の中国人が殺されたという。また、このような攻撃の再発防止のために、陸軍は浙かん作戦を展開、731部隊の細菌作戦も含め、中国人死者は25万人とされる。