きよの「ちょっと聞いて」」カテゴリーアーカイブ

苦手な人に立ち向かう勇気を持とう

今日、(あえて言うが)大の苦手のTさんと同席した。どうして反省する事なく、私が行くとわかっている団体に参加できるのか、その、神経の太さに驚く。二月には、いないと思っていた会にいたのでショックだった。信頼する人からTさんの復帰を求められ、そのショックは大きく、鬱に陥った。でも、今日は立ち向かう決意をした。苦手な人がいたくらいで鬱になってはいられない。私は私自身と闘う。私の鬱の苦しみをよく知っているのに、双極性障害を認めない方が間違っている。理解してくださいと言うしかない。あなたの冷たい言葉に、どれだけ苦しめられてきたか。私だけではない、ほかのお年寄りもあなたには会いたくないと言っていました。言葉に気をつけてください。
私は、冷たい言葉、冷たい目線に敏感です。そういう人は避けたいと思います。でも、私の活動の場で会ったとしても、耐えて、鬱にならない心を持とうと思います。

きっと今夜は眠れない。感情のコントロールができない。怒りに身を任せるしかない。だから、HPやFBに書きなぐる。人には迷惑をかけないからいいでしょ。以前は友達に夜中に電話して困らせたものだ。本当にありがとう。快くつきあってくれた友達に感謝!!

尾久初空襲についてもっと知ろう!

尾久八幡中に続き、6/15瑞光小で公開授業が行われる。

尾久初空襲と私
Posted on 2016年5月4日
私に尾久初空襲を教えてくれたのは今は亡き野村圭佑さんだった。都内初のビオトープ(多様な生物が生息できる環境条件を備える空間)として、はらっぱとも称される都立尾久の原公園を実現した自然保護活動家として有名で、国や都の審議会委員を務めていた。
 26年前、荒川区立保育園父母の会連絡会の会長を務めていた私は、子連れで野村さんの下町みどりの仲間たちの活動や自然観察会に参加していた。17年前、区議会議員に立候補のあいさつに行った時、「尾久の原の保全と尾久初空襲の伝承に取り組んでほしい」といわれ、玄人はだしの植物画を描く野村さんのイラストを選挙リーフレットに使うことを許していただいたのだった。(都立尾久の原公園の保全のために立ち上げた尾久の原愛好会は今も自然観察会を月1回程度行っている)
 当選後すぐの一般質問で、早速、区に市民参加の平和展を行うよう提案したが、「その予定はない」との回答、、、
 そこで、3月10日の東京大空襲の前後に荒川国際平和展を開催し(実行委員会主催)、尾久初空襲にまつわる調査を行い、展示した。第一回荒川国際平和展は海老名香葉子さんの講演と東京荒川少年少女合唱隊の公演であった。また、初空襲が1942年4月18日であることにちなみ、その前後の日曜日に尾久橋のたもとで尾久初空襲被害者慰霊のつどいやイベントを行った。
 当時、尾久初空襲の復旧に関わった熊野土地区画整理組合の石碑が区の工事置き場に保管されていた。私は野村さんに連れられて30年前に組合長の遠藤栄さん宅の玄関前の石碑を見に行ったことがある。私が区議になった1999年には遠藤さんは老人ホームに入り、パチンコ関連会社に変わっていた。遠藤宅には、輪王寺の宮が泊まったという碑と初空襲の碑、二つの碑があり、近所の人が、教育委員会に碑を保存すべきではないかと問い合わせたが、史的価値がないといわれたそうだ。家の取り壊しの工事の際、尾久初空襲のみかげ石の碑は道路に打ち捨てられ、一部が割れてしまった。そこに通りかかった当時の道路課長が、工事置き場に保管したそうである。現在は、ふるさと資料館で保管されている。
 爆撃地付近で聞き取り調査を行い、鈴木元一さんから警察による「尾久付近空襲状況」をお借りし、コピーした。鈴木さんは、「遠藤宅の碑は戦後ずいぶんたってできたもので、内容もいい加減」と話し、石碑は地元住民からは無視されていた。
 2000年頃は、尾久に住む議員が「初空襲なんて聞いたことがない、うそだ」というくらい、隠されていたのである。
 当時、区が把握していた爆撃地は東尾久八丁目町会の一箇所だった。そこで、東尾久八丁目町会に慰霊の集いへの参加を呼びかけ、証言を集めようとしたが、戦争中から住んでいた人とは出会わなかった。しかし、神奈川に住んでいた被爆当時大門小4年だった小宮一郎さんに出会い、2箇所目を特定することができた。その場所が尾久橋町会内だったため、尾久橋町会にも呼びかけることにした。
 尾久橋町会から数人、毎年慰霊のつどいに参加していただくようになって数年後、田村町会長が自宅の隣が爆心地であり、爆風で飛ばされた経験談を語ってくれた。語ることを禁じられた教えをずっと守っておられたのだった。ようやく三箇所目が特定できたのだった。
 そこから、町会として、尾久初空襲を語り継ぐ運動への取り組みが始まったのである。
 私たち、荒川国際平和展実行委員会は、3・10のイベントと4月の初空襲慰霊のつどいを毎年開催してきたが、10年目の節目に、爆心地に近い、ADEKA本社ホールで尾久初空襲を忘れないコンサートを企画した。このとき、尾久橋町会が中心となっての開催となった。 その後、町会を中心に、毎年、首都大学ホール、サンパール荒川大ホール、尾久小体育館、尾久八幡中体育館を会場に、多くの人々が集う、「尾久初空襲を忘れないコンサート」が開催されてきた。また、中学校の副読本に、中学生が町会長を訪ねて、空襲の話を聞くという設定で取り上げられた。
 そして、今年は、原中学校で、全校生徒と大門小6年、地域住民が参加して、公開授業が開催された。内容は、演劇部による副読本の朗読と尾久初空襲を語り継ぐ会による説明である。来年は第七中学校で開催すると発表された。毎年、尾久地域の子どもたちが尾久初空襲から戦争の悲惨さと平和の大切さを考える機会になれば、こんなうれしいことはない。
 今後は、語り継ぐ会の内容を深めることと、尾久地域以外の学校への平和授業の展開を模索していきたい。

夫を主人と言う貴女は召使?奴隷?

ヒミコ合宿の案内に「夫を主人と呼ばないで」「私の主人は私自身」と冠を付けた。
同感してくれる人々が連絡をくれるのがうれしい。
女性差別を自覚して50年。夫を「主人」と言うのが当たり前の日本を憂いている。
自立した人生を生きることを自覚した女は「主人」を拒否するはずだと思うから。
「女性活躍」ともてはやされても「主人」のいる女は、所詮、召使か奴隷なのである。

双極性障害Ⅱ型を知ってください!

5回目の鬱は2/20-4/16。二か月間何をするのも面倒で絶望する。ある日、突然、私は躁になる。4/16水曜、二か月ぶりに洗濯し、掃除もして、宮ノ前診療所と親愛のぞみの郷のサロンでキーボードを弾いての帰り道、気になっていた高橋さんの選挙事務所に立ち寄って、そのまま、選挙カーでマイクを握った。
私の、この様子を知っているのに「私は精神障害者だ」と言った私に「嘘だ」と橋立候補は言った。どうすればわかってもらえるのだろうか…

第二回私の主人は私自身!ヒミコ合宿に参加を!!

5期20年間の区議会議員を卒業、今後は一区民として、日本の経済格差問題に取り組みます。
            三河島くらぶ 恕の会 瀬野喜代

第2回 私の主人は私自身!ヒミコ合宿のご案内
       ー変更する場合がありますのでご注意ください
自由参加、自由行動が基本です。
2019.5.16
15:00 JR奈良駅集合
16:00 認知症の方のためのイベント見学「●●●●ファンクラブ結成のつどい」
18:00 桜井北口駅前 マジックマレット せのきよの音楽療法=歌声サロン~童謡 唱歌 昭和歌謡

16・17 宿泊 桜井南口駅前 櫻林亭 古民家ホテル 定員10名
       桜井まちづくり株式会社運営

2019.5.17
12:00 近鉄八木駅集合 →市庁舎分室10階展望台からの眺望 解説 瀬野喜代他
12:30 今井町にて昼食 800円 要予約 →観光ボランテイアと今井町を歩く
19:00 日本酒を楽しむ会 2500円 要予約

2019.5.18
9:30 森まゆみさんのお話
10:00 座談会 選挙を振り返って 奈良県知事候補 川島 実
       
13:00 箸墓と巻向遺跡 観光ボランテイア随行

ヒミコ企画協力者一覧 2019.5.1現在
利光恵子 薬剤師 生殖医療と差別・紙芝居プロジェクト会員
     女性のための街かど相談室ここ・ から共同代表
市場淳子 韓国語大学非常勤講師
     韓国の原爆被爆者を救援する会会長
松久 寛  縮小社会研究会 京大名誉教授
野口千代子 日本発声医学協会理事長 ボイストレーナー
 三井マリ子 女性問題研究家 元都議 元高校英語教師
金井塚康弘 弁護士
矢巻 行祥  社会福祉法人ゆうゆう理事長(日暮里保育園等)

詳しくは、瀬野喜代へメールにてお問い合わせください。