4/17尾久初空襲追悼集会の御案内

 4月17日(日)午後2時 尾久橋下 
 
 真珠湾攻撃から4ヵ月後の1942年4月18日、荒川区尾久は日本で初めて米軍による空襲を受けた。友軍だと思い、手をふって歓迎した住民が多かったという。荒川区での死者は9人とも10人とも言われる。
 大本営は、この日、米軍機9機を打ち落としたとウソの発表を行った。
 この初空襲で、一番被害を受けたのは中国人だそうである。蒋介石は4月28日「日本の大部隊がアメリカ搭乗員の多くが着地した中国の沿岸地帯に猛攻撃を加えてきた。男女を問わず、小児までを虐殺している。」とアメリカ政府に対して打電している。
 爆撃で壊された地域は、熊野土地整理区画組合が復興事業を行い、組合長遠藤栄さんによってつくられた碑が、荒川区ふるさと文化館に保存されている。区は、日暮里舎人線の整備事業にあわせ、碑を再建すると聞いている。
 この、4月18日をその後の東京大空襲に続く無差別攻撃が始まった日として、毎年、戦争犠牲者を追悼するつどいが行われている。アジア太平洋戦争でなくなった人々は、日本では300万人、アジアでは2000万人という。戦争はあまりにも愚かである。

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