「重度障害者になるくらいなら死にたい」と思わない社会にしたい

障害者からNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」に批判の声が上がっている。自殺者が増えないことを望む。「安楽死」を考える時に知ってほしいのは周りの人たちに幸せを贈りながら、楽しく懸命に生きている重度障害者がいるっていうこと。参議院議員となった筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う舩後(ふなご)靖彦さん(61)と、生後8カ月の時の事故で頸椎(けいつい)を損傷し、右手以外ほとんど動かない木村英子さん(54)に期待したい。
自分の優生思想を考えよう!

私たち全国「精神病」者集団は、1974年5月に結成した精神障害者個人及び団体で構成される全国組織です。
 6月2日に放映されたNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」は、多系統萎縮症の日本人女性が「重度障害者になるくらいなら死んだ方がマシ」という考え方に基づいてスイスに渡航し医師による自殺ほう助で死んでいくドキュメンタリー番組でした。番組中では、安楽死が肯定的に表現され、死に様までもが克明に放送されたことは私たち障害者にとってたいへん衝撃的でした。
 さて、この「重度障害者になるくらいなら死んだ方がマシ」という考え方は、相模原市における障害者施設で発生した連続殺傷事件の被告の優生思想につらなるものであり、平然と公共放送で流されている状況は看過できないです。相模原事件の被告につらなる「重度障害者になるくらいなら死んだ方がマシ」という考え方は、つまるところ障害者の生を否定するものであり、私たち全障害者に向けられた殺意そのものです。決して肯定的に捉えることはできません。こうした意見は、障害者を中心にSNS上でも散見されます。しかし、こうした障害者側の意見に対して、ご遺族が「そっとしておいてほしい」と言っていると漏れ聞いています。
 「死んだ人のことをあれこれ言うな」「私たちもつらい」「そっとしておいてほしい」というご家族の訴えは、一見するともっともらしくきこえます。しかし、今回に限っては、その訴えは的を射ていないと言わざるを得ません。本当に、そっとしておいてほしいのであれば、誰にも知られずに、ひそかに息を引き取ることもできたはずです。また、純粋に自らが尊厳のある死だけを望んでいるのであれば、わざわざ書籍を出したり、テレビに出演したりする必要など全くないはずです。
 彼女がそうしなかったのは、ただひっそりと死にたかったわけではなく、自分の死に方を社会的に認めさせる主張をするためにテレビに出演し、書籍を出したからにほかなりません。一連のテレビ出演には、自らが死ぬことを通して自己の主張を正当化するねらいがあるのです。
 ひとたび社会的な発信をしてしまったら、当然ながら様々な賛否両論にさらされます。テレビに出演したり、書籍を出したりした以上は、そっとしておいてはもらえません。ましてや「重度障害者になるくらいなら死んだ方がマシ」という考え方は、相模原事件の被告の優生思想につらなるものであり、全障害者に向けられたものである以上、障害者が黙っていられるはずがありません。ご遺族の「そっとしておいてほしい」との発言は、全障害者に向けられた殺意に対して沈黙させようとするものであり、遺族感情をたてにとった言論封殺です。私たち障害者に沈黙を強いることは、結果として相模原事件の被告につらなる思想に異議を唱えさせず、従わせていくだけのプロセスになっていくでしょう。
 NHKは、一見すると個人の選好の問題のようにみえる安楽死を公共放送に流すことによって優生思想・特定の人々に向けられる殺意の増長(ヘイトクライム)を促しました。このことについて障害者団体として遺憾の意を表明します。

 2019年6月23日
 全国「精神病」者集団

2019 年 6 月 24 日

NHK 及び各メディアの方々へ

NHK スペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(2019年6月2日放送)に

おける幇助自殺報道の問題点についての声明

日本自立生活センター 代表 矢 吹 文 敏
京都市南区東九条松田町 28 メゾングラース京都十条 101
電話 075-671-8484 FAX 075-671-8418

私たちは、どんな障害があっても誰もが地域で自立し生きていける社会の実現を目指す障害者(難病患者含む)の当事者団体です。
表題の NHKドキュメントの報道において、私たちの尊厳や生命を脅かす大きな問題点が見られたので、強い危機感をもってここに声明を発表します。

まず、私たちの中には、障害や難病による不自由な日常生活や様々に受ける差別の中で、毎日がこんなに苦しいのだったら、こんなにみじめな思いをするのだったら、死んでしまいたい、家族に迷惑をかけて生き延びたくない、などと思っている者、思ってきた者が少なからずいることも事実です。
私たちの多くは、今でこそ社会的な支援を得ながら地域で自分らしい生活を送ることが可能となっていますが、病苦や社会の無理解の中、言葉にできないような苦しい状況を生き延びてきました。自らの意思で、ある程度以上の治療を拒みつつ、亡くなっていった仲間もいます。
そうした私たちですから、ドキュメント内での、彼女や家族の気持ちには他の誰よりも共感できるところはあると思います。そして、そうした気持ちの中で、実際に死を選んだ彼女、およびそのご家族には哀悼の意を表したいと思います。
けれども、医師の管理下において自殺(安楽死)を遂げるまでの過程を、最期に自ら点滴のコックを開けて死にゆくシーンも含めて、公共放送で流すことなどについては、大きな疑問と憤慨を感じざるをえません。
今回の報道が、障害や難病を抱えて生きる人たちの生の尊厳を否定し、また、今実際に「死にたい」と「生きたい」という気持ちの間で悩んでいる当事者や家族に対して、生きる方向ではなく死ぬ方向へと背中を押してしまうという強烈なメッセージ性をもっているからです。

① 人工呼吸器等使用者の生の尊厳が蔑ろにされた点について

番組の中で何度となく、難病の人や、人工呼吸器をつけた人たちの生に対する否定的なメッセージが流されました。
現在では人工呼吸器や胃ろうを用いて生き生きと生きている人たちが大勢いるにも関わらず、安易にそれらは単なる延命措置であるかのように語られていました。病院にいって人工呼吸器を付けている人たちを見て、たいへんなショックを受けたとも語られていました。
今回の番組では、人工呼吸器をつけている人たちの扱いが非常に雑であり、過去の言葉でいえばあたかも植物人間であるかのようなマイナスイメージしか伝わりませんでした。
人工呼吸器をつけたら、人としての尊厳が奪われるのでしょうか。
人工呼吸器等使用者たちの生の尊厳に対する配慮が番組の中ではみられませんでした。

② 長期入院している患者たちの尊厳が蔑ろにされている点について

また、「天井を見ながら毎日を過ごし、時々食事を与えられ、時々おむつをかえてもらい果たしてそういうふうな日々を毎日過ごしていて」生きる喜びを感じられるか、生きていたいと思えるか、というメッセージも紹介されていました。
しかし、私たちの仲間には、そうやって何十年も施設や病院の中で過ごしている人たちも大勢います。
今回のように、そのように生きていても意味がないから、死ぬことを選んだ方が良い、という報道を見せつけられたら、実際にそう生きている人たちは、どう思うのでしょうか。自己の生を否定する気持ちや死への強迫感が強まるのではないでしょうか。またこの思想は、津久井やまゆり園で殺傷事件を起こした被告の思想と全く重なり合ってしまうものではないでしょうか。

③ 介護殺人や尊属殺人への影響について

社会的支援が少なく、家族だけの介護の中で苦しい状況にある方々への影響も甚大です。かつて、同じような難病を患い、家族介護の中で苦しんでいた方は、「もしあの当時この番組を見たら、死にたいという思いが一層強くなったはず。そして家族も私も、家族内介護の疲弊から逃れる選択肢として、このような死に方にすがりたくなったかもしれない。家族介護という閉じた中だからこそ、家族も私もお互いに強く影響を与え合い、家族内でその思いを強くしていったかもしれない。そんなことを感じて、言いようのない重たい気持ちになり、怖くなった」述べていました。
今回の番組は、介護の苦しみによる介護殺人や尊属殺人をも後押ししかねないメッセージを含んでいます。NHKは、今苦難の中にある当事者たちを死へと後押ししかねない番組の影響について、どれほどのことを考えていたのでしょうか。背筋が寒くなる思いです。

④ 自殺報道としての問題点について

今回のドキュメントの彼女の死は、医師に処方された致死薬を自ら点滴投与する「自殺」です。スイス国内でも、「幇助された自殺」に該当します。その自殺のシーンの生映像を報道してしまったので、放送倫理や自殺予防の観点から、きわめて大きな問題があります。自殺予防の観点から他者を巻き添えにしないための配慮が何重にも必要になるはずですが、そうした配慮が一切見られませんでした。

WHO「自殺予防 メディア関係者への手引き」によれば以下のことをメディア関係者は守らねばならず、NHKは当然これを知っていたにもかかわらず、一切守られませんでした。抜粋して要約すれば以下の通りです。
「自殺を問題解決の一つとして扱ってはならない(A)。
自殺の手段、自殺のあった場所を詳しく伝えてはならない(B)。
写真や映像を用いることにはかなり慎重にならなければならい(C)。
(自殺しないため)どこに支援を求めることができるか、情報提供しないといけない(D)。」

(A)今回の報道では、明らかに、障害や難病の苦しみから逃れるため、自殺が一つの方法だと伝えられていました。番組が自殺拡大効果をもっていることについてNHKはどう考えますか?
(B)自殺の手段や場所も詳しく伝えられていました。あんな簡単に死ねるんだ、と当事者や家族が見たら、どう思うと考えますか? 当事者たちへの想像力は、ありますか?
(C)リアルに死にゆく様が放映されていました。こんなふうに死ねたらいいなという思いをもった視聴者も多いと思います。現に苦しむ当事者たちにこんなふうに死にたい、と思わせる番組ですか?
(D)現在は、どんな障害や難病でも社会的支援を得ながら、生きていくことができるようになりつつある世の中です。家族や病院の介護苦にばかり焦点があてられ、社会資源としての組織や専門家の支援を得て生きるすべがあることが一切紹介されませんでした。「自殺のすすめ」のための番組だったのでしょうか?

⑤ BPO 放送基準に照らした問題点について

同様に、放送倫理・番組向上機構の「放送基準」からも逸脱する内容でした。たとえば、その基準には以下の項目があります。
(46) 「人心に動揺や不安を与えるおそれのある内容のものは慎重に取り扱う。」
(47) 「社会・公共の問題で意見が対立しているものについては、できるだけ多くの角度から論じなければならない。」
(49) 「心中・自殺は、古典または芸術作品であっても取り扱いを慎重にする。」
(55) 「病的、残虐、悲惨、虐待などの情景を表現する時は、視聴者に嫌悪感を与えないようにする。」
(56) 「精神的・肉体的障害に触れる時は、同じ障害に悩む人々の感情に配慮しなければならない。」

これまで述べてきた通り、放送規準で言われている上記のことは、今回の番組ではほとんど守られていません。
同じような苦境にある当事者や家族への配慮は一切なされず、自殺報道に関する配慮も一切なされず、死に向かうメッセージでもって当事者たちに精神的苦痛をもたらし、また支援につながる情報提供も不十分であり、社会的支援を得て生きることができるという選択肢がまるで提示されませんでした。

⑥再放送禁止や放送記録削除の要望、及び、どんな状況にあっても生きる希望が見いだせるような番組制作のお願い

公共放送としての NHK には、まず人々がどんな状況にあっても生きることができるための情報提供をしてほしいと思います。今回の放送は、制作者は思い入れがあるとは思いますが、放送倫理が守られておらず、自殺予防の観点からも重大な過失があり、他の当事者たちへの悪影響も甚大なので、再放送は決して行わず、インターネット上などの報道記録からも削除していただくよう要請します。
そして同時に、重度の障害や難病があっても支援を得ながら生きることができる、ということを伝える番組をたくさん作ってください。まだ、社会制度が不十分で支援が行き届かないところがあるとしたら、どうすれば支援が拡充するかを皆で検討する番組をつくってください。もちろん、苦しい状況の中にある方、今のところ生きる希望が見いだせないという方は、たくさんおられます。それでも、その苦しみや絶望に寄り添いつつ、人々が共に生きていくことができる光明が一筋でもさすような番組を制作、報道していただくことを強く要望いたします。

以 上

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